2004-09-26(日)
■ 信じる
「信頼できそうだから信頼することにした」とか「熱心だから信頼する」という精神構造が良いとされている文化が影響しているのかもしれない。
[otsuneの日記 2004-09-20より引用]
「成果は出なかったけど頑張ったから評価する」とか「一生懸命やったんだから褒めて」というような文脈とも関連がありそうです。「参加する事に意義がある」とかも。
発言者と発言内容とをどこまでリンクさせるか。完全に切り離す理詰めは、やはり味気ないものになってしまうだろうけど。かといって、自分の発言を否定されたとき、まるで自分の人格を全否定されたかのように怒り出す人々にも困惑してしまう。逆上した挙げ句に「人それぞれだから」なんて言ったりして。「人それぞれ」については、My Life as a Dogにて鞠小路さんの書かれた「人それぞれ」って言うなが名文です。
結局、人は自分が信じたいものを信じる、ということかなあ。タイムリーにテレビで放映していた映画から引用。
「お前は真実を見たのではない、ジャンヌ。自分が見たいものを見たのだ」
[映画 「ジャンヌ・ダルク」より引用]
自分はどうして「それ」を信じたいのか、というところまで考えると面白い、かも。
以下余談。
人狼BBS まとめサイト内のotsuneさんのプロフィールに、「占い師は推理をしない。というセオリーに従ったが、終盤に発言したい欲求に勝てなくなった」と書かれているのを見て、なんとなく安心してしまった。otsuneさんとコミュニケーションしたとたんに、心理の首根っこをガッと掴まれて、あっという間に理詰めで精神を解体されてしまうような気がして、ずっと怯えていた。
失礼な事書いてますね俺。
■ 再び死者の役割
どれどれ、と72 謀略の村のログを読んでみる。なるほど。
自陣営の勝利に非常に強いこだわりを持っている人、が稀にいます。私はまだ人狼BBSログ全体の三分の一も読んでいないと思うのですが、そのこだわりについて頭一つ抜きん出ていると思えるような人も、時々おられる。死者のうめきやエピローグにおいて、彼らの強いこだわりが、他のプレイヤーに対する強い非難につながっている。もっと言うと、ChannelBBSにおいても、それが表れてしまっている。開発者のにんじんさんに対する感謝・配慮すらできなくなってしまう。ずいぶん以前から、そういう人たちに私は注目しています。
自陣営の勝利に貢献できなくなったあと、勝敗が決したあとは、その村の参加者全員の勝利である「よいログを残すこと」に注力したいし、人狼BBSに関わっている人(プレイヤーとしてだけであっても)として、力になれるような行動を取りたいものですね。くどいと思いつつも、自戒を強くこめて、再び書いておきます。
完璧なセオリーが無く、誰もが同じ考えで行動するとは限らないということが、このゲームの「信じる」ことの重要性を表していますね。<br>私はそこに面白さを感じて、はまっちゃっいました。
ある時点で、論理的には無根拠に「信じる」ことが村人側の勝利には必要なんですよね。その瞬間にその人の価値判断の枠組みがかなり読み取れるのも面白いところです。<br>単純なところでは饒舌・寡黙を信頼できると取るか怪しいと取るか、とか。